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特別展 SPECIAL EXHIBITION

「ECHOES OF ART 〜オマージュ北斎2〜 」

5月1日~5月6日:先行抽選販売/5月7日〜7月31日:先着販売

概要

月刊美術プラスがおくる、巨匠へのオマージュ企画『ECHOES OF ART』。
 第1弾「オマージュ北斎」の盛況を受け、更なる進化を遂げた第2弾の開催が決定いたしました。

日本画・漫画・イラストなど、異なる背景を持つトップアーティストたちが、葛飾北斎の息吹を現代の視点で解釈し、新たな傑作を創り上げます。

「過去の巨匠たちの声に耳を傾け、その響きを現代のキャンバスへ」 
本プロジェクトが目指すのは、古典と現代の技法が溶け合う「新たな創造の融合」です。
巨匠の精神を受け継ぎ、現代のアートシーンへ放たれる力強い「響き」を、その目でお確かめください。

見どころ

ART WORKS

猫かぶり‐だいこくにゃん(凱風快晴)

伊藤清子 Itoh Sayako

赤富士に舞う「だいこくにゃん」

富士山とおにぎりと鮎美

信濃川日出雄 Shinanogawa Hideo

『山と食欲と私』の鮎美が見た山々

北ア稜線雷雲下

信濃川日出雄 Shinanogawa Hideo

北斎流のタッチを拝借

河童狛犬

柴田亜美 Shibata Ami

柴田流河童で北斎に挑む

残り香 - HOKUSAI -

そらみずほ Sora Mizuho

海と帽子のビッグウェーブ

北斎漫画

原田ちあき Harada Chiaki

『北斎漫画』を昭和風にオマージュ

酔余のある日図

mame mame

江戸と現代をつなぐホロ酔いの美人図

竜神図─ティラノサウルス

水嶋篤 Mizushima Atsushi

作品に表れる生涯をかけた試行錯誤

「凱風快晴」−春−

溝口まりあ Mizoguchi Maria

多様な表情の《凱風快晴》

「凱風快晴」−夏−

溝口まりあ Mizoguchi Maria

真っ赤に染まる富士山

「凱風快晴」−冬−

溝口まりあ Mizoguchi Maria

真冬の凛とした美しい富士山

INTERVIEW

北斎への共鳴と、現代に息づく「ずれ」の美学――原田ちあきインタビュー
イベント インタビュー オマージュ北斎2 原田ちあき

北斎への共鳴と、現代に息づく「ずれ」の美学――原田ちあきインタビュー

幼少期に絵を描くことを制限されながらも、インターネット黎明期の体験を原点に創作を続けてきた原田ちあき。デジタルイラストへと移行し、線を削ぎ落とすことで到達した現在の画風には、葛飾北斎への強い共鳴がある。子育てと制作を両立する日常の中で育まれた感覚や、大阪という土地の空気感もまた作品に影響を与えている。多様な表現を横断しながら、鑑賞者に寄り添う作品を目指すその現在地を聞いた。 創造の原点とデジタル表現への歩み ――幼少期の環境や、創作の原点となった体験について教えてください。 原田 幼少期、母親からイラストを描くことを強く反対されていました。しかし漫画的な表現や絵を描きたいという気持ちはかなり強く、小学生低学年の頃に父親に与えてもらったPCでイラストを描くということを覚えました。母は機械に疎く、私がPCで何をしているかわかっていなかったようです。 ――その後、どのようにして現在の画風につながっていったのでしょうか。また、技法や素材の選択理由についてもお聞かせください。 原田 当時はインターネットの黎明期で、ペイントで絵を描いては友達にメールで送ってみたり、お絵描き掲示板というBBSでマウスを使ってイラストをちまちま描いては投稿するという事を繰り返していました。あの時期がなければ絵を描いていなかったかなと思います。現在の技法に至った経緯は純粋にイラストを描くうえで効率がよく、私の絵にあっていると感じたからです。 北斎との邂逅──少ない線に宿る圧倒的表現力 ――今回の「オマージュ北斎2」では、どのような点に惹かれ、作品のモチーフを選ばれたのでしょうか。 原田 俗にいう北斎漫画と呼ばれるシリーズがかねてより気になっており、是非自分の絵柄でも表現してみたいと思い、今回の作品のチョイスに至りました。 ――北斎の表現から受けた影響や、ご自身の制作過程との関係について教えてください。 原田 私はもともとアクリル絵の具で大きなキャンバスに絵を描いていたのがスタートなのですが、そこからインターネットに活動拠点を移す際、デジタルイラストに切り替え、より漫画的な表現を模索するようになりました。線を減らすというのはとても勇気のいる行為で、今の自分のスタイルにたどり着くまでにかなりの歳月をかけました。そういう経緯もあり、北斎の少ない線で必要な情報を全て表現する圧倒的な画力に魅力を感じています。 「ずれ」が生む魅力──印刷文化からの影響 ――作品の質感や表現に影響を与えているものについて教えてください。 原田 古い印刷物がとても好きで、特に昭和初期~中期あたりのめんこや雑誌に見られる版のズレがとても大好きなんです。 ――その「ずれ」の魅力を、ご自身の作品にどのように取り入れていますか。 原田 未完成だけど味があって、ずれていることによって完成している。自分の作品にもそのような見ごたえを持たせたいと思っています。 制約の中で加速する制作──日常と創作の関係 ――現在の制作環境や日常の中での制作スタイルについて教えてください。 原田 現在3年程子供を自宅保育しており、子供が寝たわずかな時間にイラストやコラム、漫画を執筆させていただいています。 ――そのような環境や、育った土地は作品にどのような影響を与えていますか。 原田 元々はじっくりゆっくり制作する方だったのですが、時間が限られている方がシャキシャキと色々こなせるようになった気がしています。また、私は産まれてからずっと大阪で過ごしており、大阪の持つビカビカとした空気や街の色は私の作品にかなり影響を与えていると思います。 「遊園地」のように楽しさや共感を広めたい ――現在取り組まれている多様な表現について、それぞれの役割をどのように捉えていますか。 原田 前述した通り私はコラムやイラスト、漫画、絵画といろんなジャンルの事に挑戦させていただいています。イラストは寂しい気持ちや悲しい気持ちになった時に、コラムは眠れない夜のお供になれば、漫画は少しの息抜きに笑ってほしくてと、それぞれ別の軸で動かしています。 ――今後の展望と、鑑賞者に向けたメッセージをお聞かせください。 原田 絵を人に見せたいと展示発表を行った当初、私は遊園地のような人間でありたいと思っていました。これからも自分にできる事を拡張し続けて、多くの人たちにいろんな楽しさや共感を広めていきたいと思っています。 執筆:月刊美術プラス編集部

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「同業者」として北斎に向き合う――信濃川日出雄インタビュー
インタビュー オマージュ北斎2 信濃川日出雄 漫画家

「同業者」として北斎に向き合う――信濃川日出雄インタビュー

北海道札幌市を拠点に活動する漫画家・信濃川。新潟の農村で育まれた原風景と、漫画という表現に至るまでの道のりは、やがて「山」を描き続ける現在の創作へと結実した。デザインや音楽など多様な表現を経た経験、そして商業作家としての現実的な選択。その積み重ねの先にあるのが、長期連載『山と食欲と私』である。さらに今回の「オマージュ北斎2」では、葛飾北斎を「同業の先輩」と捉え直し、自身の制作と地続きの感覚で作品に向き合ったという。制作環境や技法、そして今後の展望まで、創作の現在地を聞いた。 農村の原風景と「漫画家」への自然な帰着 ――表現者としての歩みを振り返り、幼少期の環境や初めて熱中した制作体験など、現在の画風の根底にある「原風景」についてお聞かせください。 信濃川 現在は北海道札幌市在住ですが、生まれは新潟県の農村部です。大学進学を機に実家を出るまでの18年間、田んぼや野山に囲まれたのどかな風景の中で過ごしました。都市部から遠く、繁華街や商店街も近くにない環境で、川や山で遊んだり、自転車で走り回ったり、野球やサッカーをして過ごしていました。家の中では絵を描いたり、ミニ四駆やファミコンに熱中していました。 ――「描くこと」との出会いはいつ頃だったのでしょうか。 信濃川 「漫画」を描き始めたのは小学校2年生の頃です。ノートに落書き程度のものでしたが、絵と言葉で物語を動かしていくことに夢中になりました。夢中になれるだけの時間的な余白、つまり他にやることがなく暇だったことも大きかったと思います。描いたものを人に見せるうちに「絵がうまい」と褒められることが増え、それが自分のアイデンティティーになっていきました。小学校の卒業文集には「漫画家になる」と書いています。 ――高校時代には音楽にも取り組まれていたそうですね。 信濃川 高校では音楽に目覚め、ギターを弾き、自作曲を作り、バンドも組みました。少ないお小遣いでCDを買うような時代でしたが、音楽に関わる映像作品や雑誌、アルバムジャケットなどを見るうちに、デザインという仕事に興味を持ち、デザイナーを志すようになりました。 ――大学進学後、どのように進路を定めていったのでしょうか。 信濃川 筑波大学芸術専門学群視覚伝達デザインコースに進学し、グラフィックデザインやアートディレクションを学びました。在学中は写真、映像、油彩、現代アートなど幅広く挑戦しましたが、大学3年生の時に進路を「漫画家」に絞りました。ただ、「表現を選んだ」というよりも、経済的な理由が大きかったです。 ――経済的な理由とは具体的にどのようなものでしょうか。信濃川 当時は就職氷河期で、デザイナーという仕事に自分は不向きだと感じていましたし、絵画やイラストでどう収益を上げて自立するのかも見えませんでした。その点、「漫画賞に応募し、賞金を得て、連載を得て、コミックスで印税を得る」という道筋は単純で明確に感じられました。 ――プロとしてのスタートについて教えてください。 信濃川 大学休学中の2001年に初めて雑誌に掲載され、大学最終年の学費はその原稿料で支払って卒業しました。その後もデザインやイラストの仕事はアルバイト的に続けていましたが、2005年以降、商業漫画雑誌での連載や印税で生計を立てられるようになってからは漫画を専業としています。結果として、小学校の卒業文集に書いた夢の通りの道を歩むことになりました。学生時代にデザインやアートに触れた“寄り道”は、視野を広げるうえで大きかったと思います。 北斎を「同業の先輩」として読み替える視点 ――今回のテーマ「オマージュ北斎2」について、どのように向き合われましたか。信濃川 企画のお話をいただくまでは、北斎という存在は遠い時代の偉人という印象でした。しかし改めて作品や経歴を学び、今年のはじめに東京を訪れて彼が過ごした東東京(旧江戸)の空気を感じるうちに、その認識が変わりました。今では「同業者の先輩なのではないか」と感じるほど、非常に親近感を持っています。 ――その「同業者」という感覚について、もう少し詳しく教えてください。 信濃川 版元のオーダーと市場のニーズに応え、チームで制作し、庶民に向けて手頃な価格で作品を大量生産するという点は、まさに漫画の商業出版そのものです。北斎は富嶽三十六景や富嶽百景で約150点の富士を描いていますが、私は「山と食欲と私」で10年間にわたり、コミックス20巻分、2500ページ以上の山の風景と物語を描き、累計250万部以上を販売しています。その部分だけを見れば、両者の仕事の違いは何なのか、考えるほどわからなくなりました。 ――北斎という存在をどのように捉え直されたのでしょうか。 信濃川 北斎は純粋美術も手がけていますが、商業作家として「安く見られる」ジレンマや、そこから生まれる矜持もあったのではないかと想像しています。そうした点も含め、「同じ仕事をしている人」として捉え、「北斎先輩」と親しみを込めて呼ぶようになりました。 ――制作にあたって、特別なアプローチはあったのでしょうか。信濃川 むしろ逆で、「いつもの自分の仕事をそのまますることがオマージュになる」と考え、特別なことはしないようにしました。あえて言えば、構図を取る際に幾何学的な裏付けをいつもより丁寧に意識した程度ですが、それも普段から行っていることです。 ――北斎との表現上の違いについてはどのように感じていますか。 信濃川 例えば北斎は江戸から見えた富士を描く際、本来見えるはずの丹沢を省略しています。描きたいものだけを描いている、つまり脚色しています。一方で私の場合、『山と食欲と私』の作品世界では、実在する山に関しては位置関係を正確に描くよう努めているため、丹沢の存在を省略できません。ただ、今回は北斎に倣って、架空の風景を堂々と描きました。 ――今回の作品で新たに取り入れた点はありますか。信濃川 販売作品として、デジタルデータを和紙に出力していただいた点です。普段のコミックスやポスターではコート紙が一般的なので、和紙特有の風合いが加わっていると思います。 漫画制作を基盤とした技法と北斎的タッチの融合 ――素材や技法について、どのような制作プロセスを経ているのでしょうか。信濃川 基本的には普段の漫画制作と同じ手法です。紙に下書きをし、漫画原稿用紙にペン入れを行い、スキャン後にPhotoshopで着彩します。そのデータを和紙にジークレー印刷し、最終的に手彩で加筆して完成させています。特別な伝統技法は用いていません。 ――今回、北斎へのオマージュとして意識された点を教えてください。 信濃川 野山の描き方や描線、雲の模様、グラデーションの使い方などに北斎流のタッチを取り入れました。「現在連載中の『山と食欲と私』の主人公が立つ世界を、北斎流で描いたらどうなるか」というコンセプトです。 集中を生むアトリエ環境と移動し続ける生活 ――現在の制作環境について教えてください。信濃川 自宅から徒歩5分の場所にある築50年の2階建ての家屋をリノベーションし、アトリエとして使っています。毎朝9時に“出勤”し、17時に“退勤”する生活で、基本的に一人で作業し、昼食は弁当を持参しています。 ――その環境は制作にどのような影響を与えていますか。信濃川 リノベーションには2年かかり、本格的に使い始めて半年ほどですが、自宅の一室で作業していた頃よりも深い集中ができるようになりました。子どもがいる環境で集中を確保するのはやはり大変だったのだと実感しています。DIYも含めたリノベーションは、制作環境を整え、「集中」を得るための取り組みでもあります。 ――日常の制作活動についても教えてください。 信濃川 机での作業に加え、全国各地への登山取材も重要な仕事です。10年以上、季節ごとに登山道具を背負って山を訪れ、その体験を漫画に落とし込んでいます。2001年にデビュー後、東京に約10年、その後札幌に移住して15年ほどになりますが、その間に計9回引っ越しをしています。 ――生活環境を変えることについて、どのように考えていますか。 信濃川 必要に迫られてという面もありますが、新しい刺激を得るためにも積極的に環境を変えてきました。北斎も引っ越しが多かったようですが、自分の人生に飽きないためにも、目の前の景色を動かしていくことは大切だと感じています。 山からその先へ、描き続けるための拡張 ――今後の展望についてお聞かせください。 信濃川 デビューから25年、キャリアの半分近くを「山の漫画」に費やしてきました。現在の連載は続きますが、機会があれば山以外を題材にした作品や、絵画作品にも挑戦したいと考えています。学生時代に油彩やアート制作に触れた際の「やりきれていないこと」が、自分の中に未練として残っているのだと思います。 ――最後に、鑑賞者へのメッセージをお願いします。 信濃川 北斎は90歳を過ぎても描き続けようとしていました。私もまだまだ続けたいと思っています。今回の作品は「壁に長くかけてもらえる」ことを意識し、激しさを抑え、生活空間に馴染むように制作しました。漫画でも同じですが、手にした方の日常が少しでも豊かになれば嬉しいです。 執筆:月刊美術プラス編集部

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異文化の色彩が宿る"浮世の氣楽絵”――柴田亜美インタビュー
インタビュー オマージュ北斎2 柴田亜美

異文化の色彩が宿る"浮世の氣楽絵”――柴田亜美インタビュー

幼少期を海外で過ごし、異文化の空気を身近に感じながら育った柴田亜美。その後、漫画家として確固たる地位を築いた彼女は、近年、画家として新たな表現領域へと歩みを進めている。和の題材に宿る神話性やユーモアに、どこか異国の光を思わせる色彩が重なるその作品は、独自の存在感を放つ。本インタビューでは、創作の原点から伝統との関係、素材や技法の工夫、制作を支える環境、そしてこれからの展望までを丁寧に語ってもらった。軽やかさの奥にある確かな美意識に迫る。 異文化体験が育んだ色彩感覚 ――創作の原点と美意識の形成について教えてください。 柴田 幼少期にカナダで過ごした経験と、故郷である長崎の持つ異国文化の影響が、自分の画風の基盤になっていると感じています。長崎は歴史的に海外との交流が盛んな土地で、街の空気や文化の中に自然と異国の気配が溶け込んでいます。そうした環境で育ったことに加え、カナダで見た景色や色彩の記憶が重なり、現在描いている神獣や妖怪といった和のモチーフに対しても、どこか諸外国の華やかさや明るさを感じさせる色使いが加わるようになりました。結果として、伝統的でありながらも少し異質な、独自のバランスを持った画風になっているのではないかと思います。 北斎と長崎の伝承をめぐる視線 ――伝統や先人との対話についてお聞かせください。 柴田 もともと妖怪が好きだったことに加えて、故郷の長崎では河童の伝説がよく知られていることもあり、今回の題材として河童を選びました。その中でも、先人である北斎が描いた河童に強く惹かれ、そこから着想を得ています。制作にあたっては、実際に長崎の諏訪神社を訪れ、頭に皿を持つ河童の姿をした狛犬を取材しました。伝承としての存在だけでなく、具体的な造形としての河童を観察することで、より自分なりの解釈を深めることができたと感じています。過去の表現に敬意を払いながらも、自分の感覚で再構築していくことが、制作において大切な対話のひとつになっています。 胡粉ジェッソとアクリルガッシュが生む質感 ――素材の探究と独自の技法について教えてください。 柴田 今回の制作では、浮世絵が持つ落ち着いた質感と、異国的な鮮やかさを両立させることを意識しました。そのために、下地には胡粉ジェッソを使用し、その上からターナーのアクリルガッシュ「和」ジャパネスクシリーズで着色しています。胡粉ジェッソによって表面にやわらかなマット感が生まれ、そこに重ねる色彩がより穏やかに定着します。その結果、一般的なアクリル絵具に見られる強い艶を抑えつつ、華やかさは失わない、落ち着いた発色を実現することができました。 素材の選択によって表現のニュアンスが大きく変わるため、その組み合わせを探ること自体が、制作の重要なプロセスになっています。 三つのアトリエと自然光のリズム ――制作環境と日常のルーティンについてお聞かせください。 柴田 制作はできるだけ自然光のもとで行うようにしています。日が昇ると同時に仕事を始め、日が沈むとその日の制作を終えるというリズムです。この生活を続けていると、日の長さの変化によって自然と四季を感じることができ、それが心や体調の安定にもつながっているように思います。 また、現在は東京の自宅、京都の高台寺さまのご厚意でお借りしている境内の書院、そして長崎の実家という三つのアトリエを使い分けています。例えば、エネルギーの強い作品を描きたいときは東京、侘び寂びの感覚を大切にしたいときは京都、自然の気配を取り込みたいときは長崎というように、作品の方向性に応じて場所を選んでいます。それぞれの土地の空気が、作品に少しずつ影響を与えていると感じています。 日々に寄り添う絵画を目指して ――未来への展望と鑑賞者へのメッセージをお願いします。 柴田 現在は月刊美術で毎月一枚の絵画を描き下ろしながら、新たに絵本の制作にも取り組んでいます。これまで漫画という形で多くの方に作品を届けてきましたが、絵画という表現でも、同じように誰かの日常に寄り添えるものを生み出していきたいと考えています。私の絵を見た方が、その日一日を少し元気に過ごそうと思っていただけるような、そんな力を持つ作品をこれからも描き続けていきたいです。 執筆:月刊美術プラス編集部

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1000年後へ届く絵を――溝口まりあインタビュー
インタビュー オマージュ北斎2 溝口まりあ

1000年後へ届く絵を――溝口まりあインタビュー

1000年先に残る作品を目標に、日本画の伝統と自身の感性を重ね合わせながら制作を続ける溝口まりあ。幼少期から育まれた絵画への情熱と、伊藤若冲の作品との出会いが進路を決定づけた。本インタビューでは、「オマージュ北斎」出品作に込めた思考や、素材・技法への徹底した探究、さらには制作に向き合う静謐な姿勢までを紐解く。富士山という普遍的なモチーフに託された祈りと、鑑賞者に寄り添う作品観が浮かび上がる。  幼少期から日本画へ——原体験と志のかたち ――画家を志したきっかけを教えてください。 溝口 画家になろうと決めたのは小学4年生の頃です。幼稚園の年少の頃からアトリエ教室に通っていたのですが、毎回スケッチブックを一冊描き切る程、絵を描くのが大好きでした。 ――日本画の道に進むと決めた背景には何があったのでしょうか。 溝口 高校2年生のとき、展覧会で伊藤若冲の『群鶏図(ぐんけいず)』の実物を見る機会がありました。その迫力と色彩の美しさに衝撃を受け、涙が止まらなくなってしまったんです。「私も時代を超えて後世に感動を伝えられる作品を描きたい」と強く思い、日本画を専攻しました。 ――作品制作における目標について教えてください。 溝口 目標は1000年先に残る作品を制作することです。後世の人々を見守り、共に生きていく相棒となる作品を届けたいと考えています。また、技法や高品質な素材にもこだわり、物理的にも1000年もつ絵を目指しています。 北斎へのオマージュ——「凱風快晴」を描き続ける理由 ――「オマージュ北斎」への参加は今回で2回目とのことですが、どのような思いで臨まれましたか。 溝口 1回目の時に描いた「冨嶽三十六景 凱風快晴」のオマージュ作品をさらに追求したいと思い、思い切って3点とも同作のオマージュにしました。 ――なぜ「凱風快晴」をモチーフに選ばれたのでしょうか。 溝口 一つの版で同じ構図ながら全く異なる表情の富士山を表現している点に強く惹かれました。ダイナミックで柔軟な「赤富士」と藍摺版の「青富士」、その両方に感銘を受けたことが理由です。 ――制作にあたってどのようなリサーチを行いましたか。 溝口 江戸時代から現代まで富士山の姿は変わっていません。葛飾北斎が現代に生きていたらどのような表情の富士山を描いただろうかと想像を膨らませました。「すみだ北斎美術館」で実物の浮世絵を取材し、さらに本物の富士山を毎日観察しながら制作を進めました。 素材と技法——偶然性を生かした表現 ――作品に用いる素材について教えてください。 溝口 葛飾北斎が生きていた頃に浮世絵に使われていた画材を調べ、実際に画材店を巡って素材を集めました。プルシャンブルーや紅花などを使用しています。 ――普段の制作技法と今回の作品との関係はどのようなものですか。 溝口 普段は和紙を揉み紙にし、墨のたらし込みなどの技法で猫を描いています。今回もその技法をそのまま用い、自然の滲みを薄く何層にも重ねて描きました。 ――表現において大切にしていることは何でしょうか。 溝口 自然の滲みを生かし、偶然性の中で生まれる美しさを作品に閉じ込めることです。 制作環境と集中——無音の中で向き合う一瞬 ――制作時の環境について教えてください。 溝口 作品を制作する時は基本的に無音の環境で描いています。 ――その理由や制作時の心構えについてお聞かせください。 溝口 作品に込める思いは一つと決めています。耳や目から入る情報が作品に影響しないようにし、全力で集中して一瞬一瞬を大切に制作しています。 ――印象的な制作の時間はありますか。 溝口 雨の日は雨音が楽しいので、制作する時間として楽しみにしています。 旅と祈り——これからの挑戦と作品に込める願い ――今後挑戦したいことについて教えてください。 溝口 まだ訪れたことのない国を旅しながら作品制作をしたいです。これまでアメリカのグランドキャニオン、イタリア、ウズベキスタン、タイ、トルコなどに取材に行き、多くの作品を制作してきました。現地で体験し、感動という名の砂金を集め、それを作品として表現しています。 ――作品を手にする鑑賞者にとって、どのような存在であってほしいと願っていますか。 溝口 普段は黒猫を中心に描いています。黒猫は魔を祓い、幸運を招く存在であり、凛として自由な姿に人は惹かれます。今回は富士山を描きましたが、その芯は同じだと感じました。 ――富士山というモチーフに込めた意味を教えてください。 溝口 凛として美しい富士山は、人々を惹きつけ続けています。古くから信仰の対象であり、末広がりの形から繁栄や不死といった縁起の良い象徴でもあります。私の作品が、人生の相棒や家族、守り神のような存在になることを願って描いています。   執筆:月刊美術プラス編集部

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猫と日本画がひらく、やわらかな光の世界――伊藤清子インタビュー
イベント インタビュー オマージュ北斎2 伊藤清子

猫と日本画がひらく、やわらかな光の世界――伊藤清子インタビュー

  幼少期から多様な芸術に親しみ、やがて日本画という表現へとたどり着いた伊藤。鉱物への興味を原点に、独自の技法で描かれる猫たちは、明るく愛らしい存在感を放つ。大病を経た経験や日々の暮らしの中で得た感覚を織り込みながら、作品はどのように生まれているのか。その創作の背景と未来への思いを聞いた。 多様な芸術体験と鉱物への関心が導いた日本画 ――幼少期からどのように芸術と関わってきたのでしょうか。また、数ある表現の中から絵を選ばれた理由を教えてください。 伊藤 幼少期から美術、音楽、舞台芸術、映画、文学等、様々なものが好きで、鑑賞したりやってみたりしていました。結局は長時間やっていても苦にならない絵を描くことを選択しました。 ――日本画を選んだきっかけにはどのようなものがあったのでしょうか。 伊藤 日本画を選んだ理由は、幼少期から鉱物が好きで集めていたことが影響しています。鉱物を砕いて絵具にしていることがよくわかる日本画に魅力を感じました。 浮世絵と富士山の記憶がもたらした創作の転機 ――日頃の制作の中で、どのように伝統や先人の作品と向き合っていますか。 伊藤 普段から制作の休憩や気分転換に浮世絵の画集を眺めていました。 ――近年のご経験が作品に影響を与えたことはありますか。 伊藤 昨年は大病を患い長期入院と大手術をしたのですが、入院した病院は窓が大きく、晴れた日には富士山がきれいに見えました。その富士山の姿にとても勇気付けられ、明るい気持ちを保つことができました。その体験から、北斎がテーマなら富士山が印象的な作品を取り入れたいと思い制作しました。 絵具を盛り上げることで生まれる立体的な猫 ――作品における猫の表現にはどのような工夫がありますか。 伊藤 猫の表現は西洋的な陰影表現でなく、絵具で毛を1本1本盛り上げて物理的に陰影をつける表現をしています。明るく彩度の高い作品にしたかったので、西洋的な陰影表現では違和感があり、また輪郭的な表現でないオリジナルな表現を求めた結果、現在の猫の表現にたどり着きました。 ――猫以外のモチーフについても同様の技法が用いられているのでしょうか。 伊藤 猫以外のモチーフ、モンブラン等も同じように絵具を盛り上げたり荒い絵具で質感をだしたりと物理的に表現しています。 猫と暮らすアトリエと鎌倉の風土が生むモチーフ ――日々の制作環境について教えてください。 伊藤 私のアトリエは2匹の猫が自由に出入りできるようにしています。どちらかがいつも側にいてくれて、描いているのも猫、一休み中に相手してくれるのも猫という理想的な状況です。日々、猫の姿を見ていると、どんなポーズや仕草も可愛くて、描いてみたいと創作意欲を掻き立てられます。 ――制作のリズムや生活環境も作品に影響していますか。 伊藤 また、住んでいる鎌倉は神社仏閣も多く、その影響もあり縁起物等の日本的な要素も取り入れ、猫と組み合わせるようになりました。日々のルーティンはありませんが、現在も療養中のため、余り長時間描き続けてしまわないように、猫が甘えに来てくれたら休憩をするように心掛けています。 七福神や新たなモチーフへ広がる表現と感謝の思い ――今後挑戦していきたいテーマについて教えてください。 伊藤 今後は、まだ描いていない七福神や神様にチャレンジしていきたいです。日本的なもの以外にも、まだ描いていない可愛いものや美味しいものを絵の中で猫に被らせてみたいです。 ――最後に、鑑賞者へのメッセージをお願いします。 伊藤 昨年、大病をしてから色々な方に心配していただき、温かく励ましていただき感謝でいっぱいです。いただいた温かいものを絵でお返しできればと思っています。絵を見てくれた人の心が明るく楽しくなり、私の描いた絵が生活を彩っていただければ幸いです。

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