巻頭特集:「鉛筆画の極み」(月刊美術2月号ハイライト)
16世紀にイギリスで生まれた鉛筆は、我々にとって最も馴染みのある文具。黒鉛と木材というシンプルな構造は、発明以来ほとんど変わることがない。しかし、その一方で、芯の硬度や濃度の幅は広がり、用途や表現に応じて、進化を遂げてきた。美術の世界では、デッサンやドローイングに用いられる、最もベーシックな画材とされてきた。完成作品に至る前段階──すなわち、タブローの下絵としての役割を担ってきたのだ。しかし、現在は違う。自身の感性をダイレクトに写し出すこの画材を、唯一無二の武器として選び取り、「鉛筆画の極み」とも言うべき表現へと昇華させる画家たちがいるのだ。無限の拡がりを予感させながら、脇役ではなく、自立した絵画へと進化する鉛筆画の世界。30人の仕事と思いから、その多様なる姿を、紹介したい。 ――月刊美術2026年2月号より転載 第四の関節としての鉛筆 建石修志 《角度の測定―星に従え!》 36.4×32.2cm ケント紙ボード、アルキド樹脂絵具、鉛筆 藝大に進学したのは、宇野亞喜良さんや横尾忠則さんといったイラストレーターが、時代の寵児として注目を集めていた頃でした。油画ではなく、あえてデザイン専攻のある工芸科を受験したのは、自分もまた、そうしたクリエイターの一人になりたいと考えていたから。澁澤龍彦の著作を通じて幻想の世界を知ったのも、ちょうどその頃でした。 3年次にはビジュアル・デザインを専攻しましたが、教室でアカデミックな授業を受けるよりも、街に出ていくことに惹かれていました。本や映画、芝居、舞踏など、街そのものが教科書のようで、次々に生まれるカルチャーから直接刺激を受けるほうが、はるかに面白かった時代でした。文藝誌で鉛筆によるイラストレーションの仕事を始めたのも学部生の頃でした。当時はモノクロ印刷が主流だったこともありますが、それ以上に、鉛筆という画材が自分の手に最もしっくりきていたのだと思います。筆で描くことは、感触的に合いませんでしたし、そもそも私の関心は、色よりも、形やイメージに向いていたのです。 本格的に幻想的な作品を描き始めたのは、卒業制作でルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を題材にしてからです。澁澤・種村季弘両氏の書物を読み返しながらイメージを膨らませていきました。同じ頃、中井英夫さんの連載小説の挿画を手がけたこともきっかけとなり、以後、幻想系の仕事が中心になっていきました。 その後、小田急百貨店で開催されたウィーン幻想派展に触れたことをきっかけに混合技法を学び、色彩を用いた作品にも取り組むようになります。有色の下地に白でハッチングを施すこの技法を受け入れられたのは、その線を鉛筆の線の延長として捉えることができたからでした。 赤や青といった鮮やかな色はありませんが、鉛筆の「色」はとても重要です。やわらかい鉛筆で描いた上に硬めの鉛筆を重ねることで、中間のトーンや微妙な調子が生まれます。塗っても擦っても自由ですが、私はあくまで線を重ねて像を立ち上げていきます。鉛筆という画材は、手の延長、あるいは第四の関節のような存在であり、イメージを広げていくうえで、最も確実な方法なのです。(談) ●作家プロフィール1949年東京都生まれ。72年東京藝術大学美術学部工芸科ビジュアルデザイン専攻卒業。《凍結するアリスたちの日々に》に始まる鉛筆による作品、《標本箱の少年》に始まる油彩・テンペラの混合技法による作品、箱によるオブジェ、コラージュの作品制作と並行して、中井英夫、久世光彦、皆川博子など幻想文学の挿画、書籍の装丁は400冊を数える。『凍結するアリスたちの日々に』『leaf/poetry-紙片の狭間に』などの画集、『鉛筆で描く』などの技法書、ほかに『月』『幸福の王子』『不思議・鏡の国のアリス』などの絵本の仕事も多数手がける。 ●使用する鉛筆STAEDTLER Mars Lumograph 10H~12BMITSU-BISHI Hi-uni 10H ~10B 色鉛筆で描く「黒」の世界 寺崎百合子 《Grand Palais》 54.0×76.4cm 紙に色鉛筆 1993年 鉛筆といっても使うのは色鉛筆です。色鉛筆を画材とする理由は、それが子どものときからの宝物だったからです。高校の卒業祝いに貰った72色のステッドラーをいまだに大事にしています。 黒い絵を描き始めたのは、絵描きを志した頃に魅了されていた映画も写真もモノトーンの作品だったからでした。それがいまだに続いているというだけの理由です。学生時代に描いていた油絵の、鮮やかな色彩を大きなキャンバスに自由に描く喜びをよく覚えているので、早く色彩の世界に戻りたいと思いつつ、黒の世界で描くべきものをまだ描き終えていないので、やむなく黒い色鉛筆で描き続けている次第です。 最初72色だった色鉛筆は次第に増えて、今では恐らく1000色を超えているはずです。せっかく自分の手元に集まってくれた鉛筆たちを使ってあげなくてはなりません。もうしばらくは色鉛筆で描くことになるだろうと思っています。(寺崎) ●作家プロフィール1952年東京都生まれ。74年米国ハワイ州立大学芸術学部卒業。88年米国ニューヨーク滞在(Asian Cultural Council奨学金取得 ~89年)。95年個展「階段」ギャラリー小柳(銀座)。98年英国オックスフォード滞在(文化庁芸術家在外研修員として、New College,Oxfordを拠点に図書館を取材 ~99年)。2004年個展「BOOKS」ギャラリー小柳。『英国オックスフォードで学ぶということ』刊行(講談社)。07年「線の迷宮II―鉛筆と黒鉛の旋律」目黒区美術館。13年「YurikoTerazaki - drawings, Dmitry Badiarovviolins」Badiarov Violins(デン・ハーグ、オランダ)。24年個展「Every step we take,each story we unfold 時を数えて」ギャラリー小柳。 ●使用する鉛筆FABER-CASTELL Polychromos #199STAEDTLER Mars Lumochrom 104-9MITSU-BISHI HARD 7700 ●余白ノヲト黒色鉛筆は柔らかいものと硬いものを併用しています。硬い鉛筆はSTAEDTLER Lumochromの暖かい黒色が大好きだったのですが、廃盤とされてしまいました。仕方なく三菱の硬質色鉛筆を使っていたのですが、それも製造が中止になってしまいました。世の中から硬い色鉛筆というものが無くなっていくようです。「そろそろ黒一色の絵を卒業せよ」と言われているのかも知れません。 SNSから登場した鉛筆画家 大森浩平 《UNTITLED '17》 52×52cm ケント紙に鉛筆 2017年 SNSから登場した大森浩平さんは、現在31歳。独学で絵を描き続けながら、自身の表現を発信することで注目を集めてきた。しかし、評価や反響が広がる一方で、その歩みは決して平坦なものではなかった。制作が進むほどに生まれた新たな悩みは、やがて彼を一度、制作の現場から遠ざけることに。 迷いや葛藤を抱えながらも、なぜ彼は再び鉛筆を手に取ったのか。SNSを起点としたこれまでの軌跡、制作の実際、そして画家が抱く理想と挑戦について話を聞いた。 ――SNSに鉛筆画を投稿するようになった経緯を教えてください。大森 幼い頃から絵を描くのは好きでしたが、高校、大学とうまく通えなくなってしまいました。デッサンは得意でデザイン系の大学にも入学しましたが、毎日通い、多くの課題を同時にこなすことがどうしてもできなかったんです。〈ひとつのことを完璧にやりたい〉のに、すべてをほどほどに進めることが自分には難しかった。そこで、自分にできることは何かと考え、思い浮かんだのがSNSへの作品投稿でした。 ――最初の投稿について教えてください。大森 二十歳の頃、ツイッター(現・X)に投稿し始めました。最初は知人が見る程度でしたが、2017年にボルトとナットを描いた作品を、姉が「ちょっと狂気を感じる」というコメント付きで知らぬ間に投稿し、それが一気に拡散しました。それが広く知られるようになったきっかけです。 ――反響による変化はありましたか。大森 企業から仕事の依頼が来たり、YouTubeの再生数が伸びたりはしましたが、自分を絵描きだとは思えていませんでした。そう意識できるようになったのは、初個展を開いた一昨年頃からです。 ――制作を休止していた時期もありました。大森 完成した作品の保管が過剰に気になるようになり、置き場所や額装の細部まで不安になってしまったんです。作品が増えるほど心配も増え、「もうやめようか」と思いました。そんなとき、瀬戸内市立美術館の岸本員臣館長が作品管理を申し出てくださり、不安が消えて制作に戻れました。 ――実際の制作について教えてください。大森 まず写真を準備するところから制作が始まります。構図や光の当たり方、影の落ち方に至るまで、細部に徹底してこだわります。描くのは右手なので、手が画面に触れて汚れないよう、左上から右下へと描き下ろしていきます。時間はかなりかかりますが、右下に到達した時点で完成。後戻りすることはありません。完成させながら、少しずつ範囲を広げていく感じです。 ――理想の表現とは?大森 鉛筆は色を使わない分、質感に集中できると思いますし、特に金属の重さや冷たさ、手触りを伝えるには最適です。難しい表現に挑むことで、人の手仕事の限界に挑戦し続けたい。アナログでどこまでできるのか、その挑戦に今もやりがいを感じています。 ●作家プロフィール2025年1994年岡山県生まれ。2016年岡山県立大学デザイン学部中退。17年spiral take art collection 2017 蒐集衆商(スパイラルガーデン・南青山)。19年超絶の世界展(瀬戸内市立美術館・岡山)。24年鉛筆画 大森浩平展(瀬戸内市立美術館)。大森浩平原画展(秋田オーパ)。大森浩平 鉛筆画展(福山天満屋・広島)。25年鉛筆画 大森浩平展(長島美術館・鹿児島) ●使用する鉛筆MITSU-BISHI uni H ~ 4B(Fを除く6種) 月刊美術 2026年2月号の購入はこちらから
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