「煌びやかな金箔は永遠の美、変化する銀箔は無常への優しさ」――鎹さやかインタビュー
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銀箔を焼き、黒く変色させる――。日本画家・鎹(かすがい)さやかさんの画面には、渋く沈んだ銀の“痕跡”と、花々の瑞々しい色彩が同居しています。そのコントラストが誘うのは、単なる装飾の華やかさではなく、傷や劣化さえ抱きしめながら生きていく人の時間、そして誰かに向けた静かな祈りです。銀箔硫化(焼き)という偶然性の強い技法に、なぜ「成長の痛み」を重ねるのか。琳派に惹かれる理由、そして出品作《祈流》《刻冠花》《寿耀》に込めた言葉を、鎹さん自身の声でたどります。
日本画との出会いと素材への関心
――まず、幼い頃のことから教えてください。どんな子どもでしたか。
鎹 よく「おとなしそう」と言われるのですが、実際はかなり活発で、山を駆け回るような子どもでした。自然の中で過ごす時間がとても多くて、美術館に行くよりも、まず外で遊ぶことのほうが身近でした。
――絵を描き始めたのは、いつ頃だったのでしょうか。
鎹 特別なきっかけがあったというより、幼稚園の頃にはもう自然に描いていました。植物をつぶして色を出したり、紙の上で色遊びをしたり。何かを写すというより、自然に触れる延長として描いていた感覚です。
――進路として日本画を選ばれた理由を教えてください。
鎹 最初は版画にも興味がありました。ただ、進学説明会で日本画の画材の話を聞いたときに、鉱物からできた絵具や和紙、墨など、「この国の文化に根付いた素材」の美しさに強く惹かれたんです。もっと深く知りたいと思いました。
――日本画材は魅力的である一方、扱いが難しい印象もあります。
鎹 そうですね。技法が豊かだからこそ、画面の面白さに引っ張られてしまう危うさも感じていました。だから常に、「自分は何を描きたいのか」「日本の美術はどんな精神性から生まれてきたのか」を問い続けてきたと思います。
劣化や傷を肯定するということ
――作品に花が多く登場しますが、鎹さんにとって花とはどんな存在でしょうか。
鎹 学部時代は、母が育てていた花を描くことが多かったです。花を通して、母との関係や、現実の中にある矛盾や感情を見つめていた気がします。最初はどうしても装飾的な華やかさに引っ張られがちでした。
――そこから、表現が変化していったのですね。
鎹 はい。「色にとらわれる必要があるのだろうか」と考えるようになって、花を装飾ではなく、もっと精神的なものとして捉えたいと思うようになりました。その過程で、内面に沈んでいく表現と、花の持つ華やかさ、その二つをどうやってつなぐかを考えていました。
――その答えのひとつが、銀箔硫化だったのでしょうか。
鎹 そうですね。銀箔を焼いて変色させるという行為が、自然と自分の中でつながりました。見た目がかっこいいから使う、ということはしたくなくて、「意味が見つかったときにだけ使う」と決めていました。
――銀箔硫化という技法には、どんな意味を重ねていますか。
鎹 銀箔を焼くという行為は、劣化や傷を生み出す行為だと思っています。それを、人が成長していく過程の痛みに重ねています。生きていれば、誰もが傷や罪、秘密のようなものを抱えていく。その姿も、懸命に生きているからこそ美しいと感じています。
――技法としての偶然性については、どう考えていますか。
鎹 完全にコントロールしようとはしていません。温度や湿度などの条件で表情が変わりますし、偶然性のほうが大きい。だからこそ、和紙や墨、銀箔といった「痕跡が残りやすい素材」が、どこで落ち着くのかを探していく感覚です。
――思いどおりにならなかった場合も?
鎹 あります。でも、あとから墨を入れてみたら、「そのほうが良かった」と思えることも多いです。なので、銀箔の硫化が上手くいかなくても、そのあとの仕上げは、絵が落ち着く場所を探すプロセスだと思っています。
琳派への共感と作品に込めた祈り
――琳派については、どのような点に惹かれていますか。
鎹 装飾の華やかさだけではなくて、思いやりの精神を内包しているのだと思っています。本阿弥光悦や俵屋宗達、尾形光琳の流水紋などを見ていると、吉兆の感覚や、人と人とを自然を通してつなぐ優しさを感じます。
――今回の出品作《祈流》《刻冠花》《寿耀》についても教えてください。《祈流》に添えた言葉「この手からあなたに届きますように」が印象的でした。
鎹 「この手」は鑑賞者の手でもあり、自分自身の手でもあります。人生には、自分の力ではどうにもならず、祈るしかない瞬間がある。その祈りが「あなた」に向かって届いてほしい、という思いです。
――《刻冠花》《寿耀》についてはいかがでしょう。
鎹 《刻冠花》では、特定の誰かではなく、いろいろな人の心の中にあるものが花として輝いてほしい、という願いを込めました。《寿耀》は菊をモチーフに、「あなたに福寿を」という祈りを重ねています。
金箔ではなく銀箔を選んだのは、変わらない輝きよりも、時間とともに変化していくことの美しさを大切にしたかったからです。もし変色したとしても、その変化と一緒に歳を重ねていけたらいいな、と思っています。
詩的な言葉が生まれる場所、そしてこれから
――こうした詩的なタイトルや、作品世界の言葉は、普段どのような瞬間に生まれるのでしょうか。
鎹 制作中というよりも、制作がひと段落したあとや、ふと一人になったときに浮かんでくることが多いです。作品を前にして、改めて向き合いながら、「この絵は何を抱えているんだろう」「自分は何を願って描いていたんだろう」と考える中で、少しずつ言葉が立ち上がってきます。
すぐに見つかることはほとんどなくて、毎晩考え続けて、一か月以上かかることもあります。タイトルや言葉が決まったときに、ようやく作品がひとつの場所に落ち着く感覚があります。
――大学院での制作も含め、今年は作家として大きな節目の年でもあります。今後、挑戦してみたいテーマについて教えてください。
鎹 学部時代は、正直なところ「救われたい」という気持ちが強かったと思います。自分の内側を掘り下げることで精一杯でした。でも最近は、自然や人、生命あるものすべてに対する優しさや、寄り添う気持ちを、もう少し広い視点で描いていきたいと考えています。
今回の《寿耀》のように、誰かの幸せや長寿を願う作品もあれば、自分自身の内面と静かに向き合う作品も、どちらも大切にしていきたいですね。その時々で、自分が向き合うべきテーマを丁寧に掬い取っていけたらと思っています。
――鎹さんにとって、「祈り」や「願い」を込めて絵を描くことは、どのような意味を持っているのでしょうか。
鎹 自分にとっては、ひとつの救いでもあり、希望でもあります。人生の中では、自分の力だけではどうにもならないことがたくさんありますよね。そういうとき、祈るしかない瞬間が確かにあって。
絵を描くことで、その祈りを形にして外へ手渡すことができる。誰かのためでもあり、自分自身のためでもある行為だと思っています。だからこそ、祈りや願いを込めることは、制作の中でとても大切な位置を占めています。
――最後に、今回の「月刊美術プラス」琳派特集で、初めて鎹さんの作品に出会う読者へメッセージをお願いします。
鎹 焼き箔の表情や移ろいは、どうしても写真では伝わりきらない部分があります。ぜひ実物を、いろいろな角度や光の中で見ていただけたら嬉しいです。
朝や夕方の光の違いはもちろん、部屋に飾った絵をどの場所に座って見るかによっても見え方が変わってくるので、作品と一緒に過ごす時間を楽しんでもらえたらと思います。作品を通して、少しでも心が静まったり、穏やかな気持ちになったりしてもらえたら、それ以上のことはありません。
――ありがとうございました。
執筆:月刊美術プラス編集部