「見た人にいいことがありますように」――伊藤清子インタビュー
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柔らかな表情でこちらを見つめる猫。その顔の奥には、見る人の心をほぐす不思議な力があります。日本画家・伊藤清子さんは、そんな猫の魅力を日々の暮らしの中からすくい取り、描き出しています。今回の「猫特集」では、縁起物の“だるま”と猫を組み合わせた新作《猫かぶり−だるまさん》を出展。自然と絵を描き始めたという幼少期から今に至るまでの歩み、猫への深い愛情、そして来年に控える個展への思いをうかがいました。
子どものころから、絵は「遊びの一部」だった
――まず、絵に興味を持ったきっかけを教えてください。
伊藤 小さいころからずっと絵を描くのが好きでした。本を読んだり音楽を聴いたりする中に、“絵を描く”という遊びが自然にあった感じです。中学生のころに「美大に行こう」と決めて、予備校にも通い始めました。
――学生時代は、美大受験にも長く挑戦されていました。
伊藤 はい。東京藝大を目指して10年ほど受験を続けました。結果的に合格はできなかったのですが、その期間にデッサン力がしっかり身につきましたし、何より絵を描く時間そのものが楽しかったです。
「芸大に入らなくても、絵で食べていくことはできる」というのは、今の自分が証明できているのかなと思います。挑戦している人たちにも、ぜひ希望を持って続けてほしいですね。
――日本画を選ばれた理由は?
伊藤 鉱物が好きだったので、絵の具屋さんで見た岩絵具の瓶がとても魅力的だったんです。砕かれた石の色そのものを使う感じに惹かれました。日本画の質感も、自分の性格に合っていたと思います。
――影響を受けた作家はいますか?
伊藤 伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう:1716-1800、江戸中期の画家)ですね。ここ数年若冲の人気が高まっていますが、まだブームになる前の展覧会で作品を見て、「面白い!」と思いました。日本画に進むにあたって、琳派(りんぱ:俵屋宗達や尾形光琳を祖とする、華やかで装飾的な日本美術の流派)や現代作家などいろいろな作品を幅広く見ました。
――現在鎌倉にお住まいとのことですが、鎌倉は作家活動にも影響を与えているのでしょうか。
伊藤 はい。高校を卒業した年に鎌倉に移り住んで、もう20年以上になります。文豪が多く住んでいた町で、私の家の近くには大佛次郎さんが住んでいた邸宅もあります。今はカフェになっていて、よく訪れるんです。
猫好きだった大佛次郎さんの話を聞くたびに、同じ町に住んでいることが励みになりますね。
猫との出会いと、日常から生まれる物語
――ちょうど猫の話が出ました。猫を描くようになったのは、どんなきっかけだったのでしょう。
伊藤 大学時代はクラゲを描いていたのですが、あるとき展示会で「猫を描いてみない?」と言われて。昔から猫は大好きだったので、描いてみたらすごく楽しくて(笑)。それからどっぷり猫の世界に入りました。
――ご自宅でも猫と暮らしていらっしゃるとか。
伊藤 はい。1匹は猫カフェから迎え、もう1匹は保護した子です。最初は臆病でしたが、今では膝に乗ってくる甘えん坊。夜も一緒に寝ています。もう、生活の中心ですね。
――そんな猫たちを見ていて「描きたい」と思う瞬間は?
伊藤 ほとんど常に(笑)。ちょっとした仕草や伸び方、あくびの顔……全部絵にしたくなります。どの瞬間もかわいくて、切り取りたくなりますね。
――猫の表情やしぐさを描くうえで意識していることは?
伊藤 動作だけでなく、その猫の性格までにじみ出るように描けたらいいなと思っています。絵の猫に実在のモデルはいませんが、作品ごとに「いたずら好き」「控えめ」など性格を設定して、表情や動きを想像しながら描いています。
伊藤さんの飼い猫“マル”(左・♀)と"ハク"(♂)
《猫かぶり−だるまさん》に込めた想いと工夫
――今回の掲載作《猫かぶり−だるまさん》について教えてください。
伊藤 見る人が楽しい気分になってくれたらうれしいです。だるまは縁起物ですし、部屋に飾ったときに気分が上がるような作品にしたいと思いました。
――だるまを選んだ理由は?
伊藤 年末に“めでたいものを描きたい”と思ったのがきっかけです。鎌倉に住んでいるので、招き猫やだるまを売るお店に行く機会も多く、自然と発想が浮かびました。
――タイトルの“猫かぶり”にはユーモアもありますね。
伊藤 “猫かぶり”には二重の意味があります。文字どおり“猫をかぶっている”という表現と、見たものすべてに猫が宿って見えるような、“猫が何かに化けている”というイメージもあります。猫好きな人って、どんなものを見ても猫を思い出しちゃうんですよ(笑)。
――表情がユーモラスでありながら、祈りのような静けさも感じさせます。
伊藤 見た人に「いいことがありますように」という気持ちを込めました。ちょっとした茶目っ気と幸せの祈り、両方の表情を入れたつもりです。
――色使いや技法の工夫も印象的です。
伊藤 今は“目に飛び込む色”を意識して描いています。昔は微妙な色を重ねて何が描かれているかわからないような絵も好きでしたが(笑)、今は多くの人に楽しんでもらえるよう、はっきり描くようにしています。
また、猫を描くようになってからは、クラゲを描いていたときのような和紙の重ね描きをやめて、ぼかしもあまり使わないようにしています。
――猫の毛並みの凹凸など、質感も魅力ですね。
伊藤 はい。作品を間近で見ていただくと、猫の毛が立体的に見えると思います。これは手に取って見ることができる人だけが得られる“特権”ですね。
《猫かぶり-だるまさん》※作品ページはこちら
“七福神”をテーマにした作品も描いていきたい
――『猫かぶり』や『大首絵』などシリーズ化された作品群がありますが、シリーズ化された理由は?
伊藤 覚えてもらいやすい“キャッチーさ”が欲しかったんです。タイトルの『猫かぶり』『大首絵』など、印象に残る響きがあるといいなと。今回のように表情や顔を大きく描いた作品もありますが、猫が飛んでいる瞬間など、全身を描いた作品もあります。
――2026年2月に仙台三越での個展を予定されていますが、テーマや構想があれば教えてください。
伊藤 年が明けてすぐの時期の開催なので、明るい気持ちになるような、“めでたい雰囲気”の作品を増やしたいです。今年から描き始めた『大黒天』シリーズなど、“七福神”をテーマにした作品も描いていきたいと思っています。
――最後に、『月刊美術プラス』の読者へメッセージをお願いします。
伊藤 美術って、難しく考えなくてもいいと思うんです。猫が好き、乗り物が好き……そういう“自分の入り口”から入っていけば十分。自分なりの楽しみ方を広げていくと、どんどん世界が広がると思います。
――ありがとうございました。