「そのものらしさ」を描く――吉田瑠美インタビュー
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幼い頃からスケッチブックを手放さず、動物や風景の“そのものらしさ”を描くことに自然と向き合ってきた吉田瑠美さん。絵本作家、画家・イラストレーター、そして中国武術の講師という多彩な顔を持ち、現在は京都と東京、そして台湾を行き来しながら創作を続けています。今回の猫をモチーフにした特別展では、台北の友人宅に暮らす猫をモデルに、3日間寄り添うように滞在して描いた2点の作品を出展。柔らかく形を変える猫の魅力、武術が制作に与えた影響、台湾との深いつながりなど、創作の背景を伺いました。
幼少期と絵を描く原点
――小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか? 絵との関わりを教えてください。
吉田 幼い頃から、どこに行くにも小さなスケッチブックを持ち歩いていて、待ち時間があれば自然に何かを描いていました。描くことは「コミュニケーションの手段」でもあり、「世界を見つけていく方法」でした。物心つく前から紙とペンさえあれば静かに楽しんでいるような子どもだったと思います。
――“描くのが得意だ”と意識した瞬間はありましたか?
吉田 小学校1年生のときの写生の授業で、校庭の花をとても上手に描けたことがきっかけでした。好き勝手に描くのとは違い、「見て写す」ことが自分は得意なのだと気づいた瞬間でした。
幼少期を過ごしたニューヨークでの1枚(右は弟)
――青山学院で幼稚園から短大まで過ごされていますが、学生時代はどのように表現と向き合っていましたか?
吉田 学校では友人や先生に恵まれ、のびのびと絵を描いたり文章を書いたりを続けていましたが、家では実は“武術少女”でした。10歳のときテレビで見た中国武術に魅了され、週6日、社会人チームに混ざって練習するほど本気で取り組んでいました。
――短大で芸術学科を選ばれた理由は?
吉田 14、5歳の頃、絵の学校には行きたいとは思っていたのですが、「絵はスポーツの後でもできるけど、スポーツは絵の後にはできないよ」と武術の先生にも言われ、まずは武術に真剣に取り組むことにしました。2008年の北京五輪のジュニア有望選手にも選ばれていましたが、20代で怪我で競技を引退してからは太極拳や気功も学び、指導者の道を選びました。
勝ち負けの意識がとても希薄でいい選手ではありませんでしたが、10代に真剣に稽古をして自分に集中し続ける修行時代を持てたことや、20代の頃から、子供から年配の方まで幅広い世代の方やお仕事の方に出会い、さまざまな世界に触れ続けることができたのが自分の財産です。進学した青山学院女子短期大学の芸術学科は少人数制で、先生方も“社会に出てからは作家同士”という目線で接してくださり、その学びが今も支えになっています。
京都への移住と“プロ”の道が開いた瞬間
――プロとして歩む転機はいつ訪れたのでしょう?
吉田 29歳のとき、京都へ移住しました。ゆったりとした時間の中で久しぶりに絵を描いたところ、それを見た夫が「僕はこれ、好きだな。絵がいっぱい増えたら、個展を開いてみたら?」と勧めてくれたんです。個展を開いてみるとたまたま編集者の方が来てくださり、動物園の絵本の仕事を依頼されました。展示を続けていると、浄土真宗のカレンダーの仕事をいただいたり、肖像画のお仕事をいただいたり、不思議なご縁が重なって。いつかはそうなったらいいなとは思っていましたが、ありがたいことに、気がついたら絵のお仕事が増えていました。
京都に移住した頃の1枚
――動物を描く際に心がけていることは?
吉田 「そのものらしさ」が出るまで描き込むことを心がけています。武術では対象をそのまま見て受け取り、繰り返し練習して身体に落とし込むのですが、その姿勢は絵にも通じています。対象に“なりきる”ように向き合うことで、動物らしさが自然と出てくると感じています。
――画材の使い分けにはどんな基準が?
吉田 絵本の場合は編集者と話し合いながら作品の世界観に合う画材を選びます。自身の作品を制作する際は、その瞬間の気持ちを最も込められるツールを選びます。今回出展した《音を見つめる》《夢のかたち》はアクリルガッシュを使用し、細い線を重ねやすい点を活かしました。ほかにもクレヨン、色鉛筆、ペンキ、油彩など幅広い素材を使いますが、そのときに自分が一番思いを込めやすいと思うツールを選んでいます。ただ、これまでは水彩をあまりやってこなかったので、今後は挑戦したいと思っています。
《音を見つめる》※作品ページはこちら
《夢のかたち》※作品ページはこちら
多彩な活動:絵本作家・画家・武術講師という3つの顔
――今回の猫作品は台湾の友人宅の猫がモデルと伺いました。
吉田 はい。何度か遊びに行ったことのある友人宅の猫を書かせてもらいました。最初は数時間だけスケッチしようと思っていたのですが、猫があまりリラックスしてくれず……。そこで「泊まらせてほしい」とお願いし、3日間一緒に過ごしました。ご飯を食べたり、同じ部屋で寝起きするうちに猫が心を開いてくれて、自然体の姿を書けるようになりました。
――猫の“どんな姿”を描きたかったのですか?
吉田 作為的なポーズではなく、リラックスした瞬間や自分の時間を楽しんでいる姿を描きたかったんです。猫は柔らかく、骨格からは想像できない形に、まさに“液体”のように形を変えます。その柔らかさや「ふにゃ」っとした表情を大切にしました。
――絵本作家、画家・イラストレーター、武術講師。それぞれをどのように両立しているのでしょう?
吉田 自分でも説明が難しいほど自然な流れで続いています。武術は10歳で始め、実はそのときの指導者が夫になったのですが(笑)、その夫とともに教室を運営していました。4年半前に夫が突然亡くなり、働き方も変化しました。現在は絵の仕事の比率が増えていますが、武術を通して学んだことは自分の核でもあり、お教室の方々にも恵まれ、大切に思っています。最近はラジオパーソナリティやエッセイの仕事もいただき、「『今度はこれをやってみたら』と天から言われているのかな」と思いながら一つひとつの仕事に挑戦しています。
――武術は制作活動に影響していますか?
吉田 大いに影響しています。こう見えて意外と体力があるので、壁画の制作で10~12時間作業しても自分の体を上手くコントロールできます。また、長い槍や剣という道具を扱うときに先端に意識を込める練習をするのですが、その経験が、普通の30センチくらいの筆はもちろん、壁画で長い筆を使うときでも役立っています。また、知らない土地に行ったり、いろいろな人に会うことも多いのですが、どんな環境も楽しんでしまうところも、武術の修行時代を通して得たものだなあと感じます。
演舞中の様子
台湾との深い結びつきと、広がる創作活動
――台湾との関わりはどのように始まったのでしょう?
吉田 私の祖父が台湾人で、もともとルーツはありましたが、大人になるまでに一度しか行ったことがなく、よく知りませんでした。決定的だったのは、映画監督の弟が制作した日台合作映画で、主人公の女の子の“ゴーストペインター”を依頼されたことです。夫を亡くした直後で、映画の世界は初めて。できるかなと戸惑いもありましたが、夢中で絵を描くうちに、日台のアーティストの友人がたくさんできて、台湾とのつながりが一気に深まりました。今は台湾文化を紹介するラジオ番組のパーソナリティも務めています。
台湾で壁画を制作中の様子
――台湾での反応は日本と違いますか?
吉田 とても違います。台湾の方は「これは好き」「これは好きじゃない」と初対面でも率直に伝えてくれるんです。作品単体だけでなく、前作とのつながりや文脈まで含めて理解しようとしてくれる点が印象的でした。
――今後挑戦したいことは?
吉田 来年は海外の仕事も決まっていて、台湾以外の国にも広げていきたいです。小さい頃アメリカに住んでいたので日常会話はできますが、作品を説明できるレベルの語学力を高めたいと思っています。もっと自由に動き、誰かの役に立てるアーティストになりたいです。
――最後に、「月刊美術プラス」の読者へメッセージをお願いします。
吉田 美術は敷居が高いと感じる方もいるかもしれませんが、いろいろなことがある日々の中で、それぞれの痛みを和らげて幸せな気持ちを与えてくれるものだと思っています。今回、猫の特別展に参加できてとても光栄です。温かい気持ちになれる作品を届けられたら嬉しいです。
――ありがとうございました。