「日常のシュール」をすくい上げる ― 稲田友加里インタビュー

「日常のシュール」をすくい上げる ― 稲田友加里インタビュー

「取るに足らないけど確かにある感覚」を絵画に閉じ込める。そんな稲田友加里さんの作品には、やわらかな静けさと、不意に笑みを誘うようなユーモアが同居しています。

バニラアイスから着想を得た『あえかな幕間』、洋梨とバクを描いた『抱くしじま』『耽るしじま』。いずれの作品も、夜の“しじま”に浮かぶちょっとした物語のようです。

今回は、幼少期から現在に至るまでの創作の軌跡、そして今回の作品に込めた思いを伺いました。

ヤン・シュヴァンクマイエルから“シュール”の影響を受ける

――まず、月刊美術主催のコンクール「デビュー展2025」に入選されたときの気持ちをお聞かせください。

稲田 以前からコンペには度々挑戦していて、5年前に「昭和会賞」をいただいたんです。今回の「美術新人賞デビュー」も、「次はこれに挑戦してみよう」と初心に帰り挑戦しました。入選して会場に伺ったとき、若い方々のエネルギーが本当にすごくて。言語にしがたい思いが作品からひしひしと伝わってきて、とても刺激を受けました。

――ご出身は高知県ですね。どんな子ども時代を過ごされて、どのようなきっかけで絵画の道に進む決心をされたのでしょうか?

稲田 幼い頃から絵はポツポツと描いていたのですが、「専念して描く」というほどではなかったです。本格的に描き始めたのは高校2年生の頃で、特にこれといったきっかけはないのですが、大学に入ってから「絵を描くのって楽しい」と感じるようになって、そこから本格的にのめり込んでいきました。

――大学では高知大学の西洋画を専攻されていますね。

稲田 専攻を選ぶときに、土井原(崇浩)先生という西洋画ゼミの先生の人柄に惹かれたことと、その方の作品も写実的なんだけれども、どこかに“違和感”がある作品で。その筆致に魅了されて、「この先生から学びたい」と思いました。

――高知で生まれ育ち、今もアトリエは高知にありますね。地元への思いを聞かせてください。

稲田 正直、愛着があるかというとそうでもないんです(笑)。でも、この何もない土地だからこそ、逆に“出ていってやるぞ”という力強い人たちが生まれるのかもしれません。岩崎弥太郎(三菱財閥創業者)ややなせたかしさん(漫画・絵本作家、『アンパンマン』原作者)など、高知から旅立った人たちはみんなエネルギッシュ。そんな土壌がある土地だと思います。また、この環境だからこそ制作のための感覚が研ぎ澄まされるのかもしれません。

――影響を受けた作家はいますか?

稲田 チェコの映像作家、ヤン・シュヴァンクマイエルが好きです。彫刻や粘土作品も素晴らしいのですが、とにかく物語がシュール。そのシュールを極めた世界観に対して、「自分もこんな世界観を生み出せたら」という思いが強くなり、これを自分の分野である西洋画に自分の“妄想力”と組み合わせてどう生かせるかということを考えるようになって……。私は「シュールな作風」と言われることが多いのですが、やはりヤン・シュヴァンクマイエルの影響が大きいかなと思います。

――インスタグラムのプロフィールにも「日常の中のふとしたシュールな瞬間をテーマに」とありますね。

稲田 私が住んでいるところは本当に何もない田舎で(笑)。嫌なことや嬉しいことがあったときに、そんな日常の中の些細なものを拾って集めて、そこから妄想していって自分の作品に落とし込むという作業をしていて。その作業のためにここで暮らし続けているのかな。

――ご自身が“シュールだな”と感じるのは、どんなときですか?

稲田 街を歩いていてふと空を見上げる瞬間とか、誰かの言葉に引っかかったときです。たとえば、車がちょっと故障してという話をしたら、親戚が「ブレーキが効けばいいじゃないか」って(笑)。その何気ない一言がすごく面白くて。そういう“取りとめのない言葉”に心を動かされるんです。他にも、愛犬を見て「かわいすぎて、どうしたらいいかわからない」と感じたり、果物のおいしさや瑞々しさに惹かれたり。そういう感情の断片を拾い集めています。

――取るに足らないけど確かにある感覚、ということですね。

稲田 そうです。些細で不確かなものほど愛おしいというか。私はそういう「取るに足らないもの」を大事にしたいんです。見た人が「ちょっと変だけど面白い」「不思議だけど惹かれる」と思ってくれたら嬉しい。そういう“心のくすぐられ方”をする絵を描きたいと思っています。

――制作のプロセスで大切にしていることはなんでしょう?

稲田 必ず絵の“取材”をします。ネットの写真をそのまま使うのではなく、現地に行って自分で撮る。実際に見て、触れて、空気を感じてから描くことを大事にしています。旅をしながら資料を集めるのが好きなんです。

「本物に寄せる」ことを意識

――『あえかな幕間』は、バニラアイスから流氷を連想されたそうですね。

稲田 京都に行くと必ず立ち寄る喫茶店があるんです。春先の暑い日で、冷たいものを飲みたいなと思って頼んだコーヒーゼリー。その上に浮かんだバニラアイスを見て、「流氷の上に白くまが乗っているみたい」と錯覚したんです。そこから、“白くまがひと休みしている”情景が浮かびました。溶けていくアイスと流氷の儚さを重ねて、“束の間の休息”を描きたいと思いました。

――タイトルの「幕間」にはどんな意味を込めていますか?

稲田 本来は劇と劇のあいだの“インターバル”のことですよね。取材で走り回る中で、喫茶店に入って一呼吸置く、その“間”の時間を大事にしたくて「幕間」という言葉を選びました。

あえかな幕間

――『抱くしじま』『耽るしじま』を構想、制作されたときの気持ちを教えてください。

稲田 『抱くしじま』で、オナラをすかしてるバクがいますよね(笑)。「ターボ屁こきバク」というおかしな名前のキャラクターなんですけど、夜な夜な人の枕元に現れて夢を食べ、そのエネルギーでお尻から噴射して旅をするというキャラクターなんです。なぜかこのキャラクターが人気があって。あるときサメに襲われて宇宙に行って、そこで降り立った星に洋梨があって……という設定で。自分でも何を言っているのかわかりませんが(笑)。

洋梨という果物がもともと好きで、母国のフランスでは絶滅しかけた品種を日本の農家さんが育てていると聞いたことがあって、そんな“物語”にも惹かれました。

夜に制作することが多く、夜の静けさや虫の音に包まれる感覚が好きなんです。そういう“しじまの時間”を絵に込めています。

――“しじま”という言葉にはどのような意味を込められたのでしょうか。

稲田 日本語って本当に繊細ですよね。調べていると、いい言葉がたくさん出てくるんです。その中でも“しじま”という言葉には奥ゆかしさが感じられて、作品のタイトルにぴったりだと思いました。

抱くしじま

耽るしじま

――色彩や質感で意識していることは?

稲田 「本物に寄せる」ことを意識しています。写実的と言われることもありますが、自分ではまだまだだなと思っていて。観察しながら丁寧に描くことで、リアルの中に少し不思議さが生まれるように心がけています。

――油彩を選んでいる理由は?

稲田 一時期はアクリル絵具も使っていましたが、油彩だと透明感があるというか、色を薄く重ねて層にするような表現ができるんです。時間をかけて描くことで深みや奥行きが出る、とてもいい画材だと思っています。

――インスタグラムでたびたび登場していた愛犬の柴犬は、稲田さんの創作意欲を刺激したりしましたか?

稲田 去年、16歳と5カ月で亡くなってしまいました。作品を作るうえで本当に大切な存在でした。モチーフとしてもよく登場していましたし、かわいすぎてどうしたらいいかわからないみたいな気持ちで、この子をどう表現しようかと考えるうちに、「もっと絵がうまくなりたい」と思うきっかけにもなりました。動物って言葉を話さないけれど、表情や仕草で全部伝わるんです。そういうちょっとした表情や“佇まい”を描き留めたい──そんな重要な存在でした。

昨年亡くなったという稲田さんの柴犬「もみじ」

稲田さんのアトリエ

――2027年の石川画廊での個展について、構想を教えてください。

稲田 石川画廊さんには以前からお世話になっています。新しい会場を見せていただいて、空間全体を生かせる展示にしたいと思いました。また、自分の作風が好きだと言ってくれる方のために、見た方が楽しめるような展示ができたらいいなと考えています。もちろん自分の世界観も大事にしつつ。

――今後挑戦してみたい表現はありますか?

稲田 写実的と言われますが、それだけではない表現を模索していきたいです。写実なんだけどシュールだったり、なんか笑えるというものを大事にしていきたいですね。

――最後に、「月刊美術プラス」の読者・ユーザーのみなさんへのメッセージをお願いします。

稲田 芸術って、私自身も「よくわからない」と思うことがあります(笑)。でも、“なんとなく好き”“惹かれる”でいいんです。一目惚れのように“心がビビッと動いたもの”は、きっと本物だと思います。その感覚を大切に、自由に楽しんでほしいです。

――ありがとうございました。

 

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