いま敢えて狙う! 近・現代の物故作家:インタビュー 長谷川徳七(日動画廊代表取締役)

いま敢えて狙う! 近・現代の物故作家:インタビュー 長谷川徳七(日動画廊代表取締役)

明治から昭和にかけて、日本の洋画には今も輝きを放つ多くの名作があります。けれども、現代アートが注目を集めるなかで、そうした近代や昭和の洋画家たちの作品が少しずつ忘れられているのも現実です。今回の特集では、洋画商として長い歴史を持つ日動画廊の代表取締役・長谷川徳七さんにお話を伺いました。梅原龍三郎や安井曾太郎など巨匠たちの魅力、そして「近代洋画をどう未来へつないでいくか」について語っていただきました。

――月刊美術202511月号特集「いま敢えて狙う!! 近・現代の物故作家[洋画編]巨匠銘柄から昭和の優品まで」より転載。

インタビュー:長谷川徳七(日動画廊代表取締役)

1928年の創業以来、洋画商の先駆として近代から現代に続く
日本の洋画界を中心的に支えてきた日動画廊。
洋画家の評価の現状と課題、今後評価されるべき作家について、
代表取締役の長谷川徳七氏に聞いた。

近代洋画は宝の山それを掘り起こすのが画商の使命

近代の巨匠を忘れてはならない

――近代洋画の現状について、まずお聞かせください。

長谷川 初期の高橋由一や川村清雄、浅井忠といった画家の作品は、今では市場に出てくることがほとんどありません。美術館に収まると、実際に売買される機会はほぼゼロに近い。仮に出てきても、滅多にないことなのでとんでもない高値になります。しかしそれも何年かに一度あるかどうか。つまり、現在は「存在は知られているが実際には触れることができない」状態です。

 私は昭和のうちに亡くなった作家たちに注目すべきだと思います。例えば梅原龍三郎(18881986)や安井曽太郎(18881955)。日本近代洋画の大黒柱といえる存在ですが、美術大学ではもう教えられていない。美大生がその名前を知らないというのは本当に由々しき事態です。

 安井や梅原を抜きにして日本の洋画史は語れません。彼らが築いた基盤の上に次の世代の須田国太郎(18911961)や児島善三郎(18931962)、さらに鈴木信太郎(18951989年)らが出てきた。けれども、その連続性が学生にも美術愛好家にも十分に伝わっていない。教育の場から消えてしまったことが大きいと思います。

――近代美術館の姿勢についてはどうご覧になりますか。

長谷川 本来なら近代美術館が、近代洋画の体系をきちんと見せるべきです。ところが実際には、現代美術ばかり取り上げている。現代美術なら現代美術館があるのですから、役割が重複しているんです。

 例えば、国立近代美術館に行っても、展示の中心は現代アートです。梅原や安井の大作は所蔵しているはずなのに、常設展示にすらあまり出てこない。美術史をきちんと検証するという役割を放棄しているように感じますね。結果として「近代の巨匠たち」が人々の記憶からどんどん遠ざかっている。これは危機的なことです。

 具体的には、小山敬三(18971987)、福沢一郎(18981992)、田崎広助(18981984)、宮本三郎(190574)といった作家たちです。彼らは戦後から高度経済成長期にかけて一時代を築いた存在でした。美術館でも展覧会が組まれ、画集も出版され、当時は確かに広く知られていた。ところが今はその名前を耳にする機会がほとんどありません。

 もちろん、特異な存在は例外的に残ります。例えば岸田劉生(18911929)村山槐多(18961919)。彼らは夭折したり、独自の作風で強烈な印象を残しましたから、今後も語り継がれていくでしょう。

安井曾太郎《湯河原風景》15F 油彩

民間の画廊が果たす役割

――実際に掘り起こしが成果につながった例はありますか。

長谷川 2019年に曽宮一念展を企画しました。曽宮一念(18931994)は昭和を代表する主に風景を描いた画家ですが、展覧会の開催まではすっかり忘れられた存在でした。しかし大規模な展示によって、改めてその力量が評価され、大きな反響を呼びました。

 つまり、きっかけさえあれば再評価は十分に起きるのです。ですから今後も掘り起こしを続けなければならない。ところが現実には国立や県立の美術館が十分に取り組んでいない。だからこそ、民間の画廊が果たす役割はますます大きくなっていると感じています。

――美術館との関係には大きな変化があったそうですね。

長谷川 昔は美術館から画廊への貸し出しが普通に行われていました。例えば藤島武二展や岡田三郎助展も、美術館の所蔵作品を借りて開催できました。ところが今は、公立美術館や公益財団の美術館は民間に一切貸さない。規制が厳しくなりすぎて、展覧会がそもそも成り立たなくなってしまいました。

 さらに県立美術館は地元作家を囲い込んで外に出さない傾向があります。結果として、他地域の人がその作品を見る機会がなくなり、忘れられてしまう。展示は本来、教育や歴史検証のために行うものです。ところが実際には人を呼ぶための漫画展やアニメ展ばかりに偏ってしまっている。これでは美術館の存在意義が失われてしまいます。

フランスとの比較

――日本の文化政策にも課題が多いのですね。

長谷川 日本は立派な美術館を建てることに力を入れて、中身のコレクションや企画展には十分な予算を出さない。収蔵庫はすでに満杯で、新しい作家の作品は受け入れられない。さらに寄贈制度も大きな問題です。国や美術館が受け取るのは重要文化財級のものばかり。それ以外は受け付けないから、個人所蔵者は寄付をためらいます。差し出したところで相続税の対象になってしまうからです。これでは誰も寄贈しなくなりますよね。

 フランスでは国が画商から作品を買い上げ、美術館に収める仕組みがあります。だから時代ごとの作家がしっかり残っていく。日本にはその仕組みがないため、歴史の空白がどんどん広がってしまうんです。

――それでも展覧会の企画は続けられていますね。

長谷川 秋の日動名品展では、荻須高徳(190186)の特集コーナーを設けて、展覧会の柱の一人として取り上げたいと考えています。さらに麻生三郎(19132000)や北川民次(18941989)、岡鹿之助(18981978)といった昭和の画家たちも光を当てたい。作品の価格が安すぎるからこそ、もう一度きちんと評価される場を作らなければならない。

 グループ展だとどうしても作家の印象がぼやけてしまうので、できるだけ一人の作家にフォーカスした展覧会をやりたいと考えています。

日本の近代洋画は宝の山

――景気が低迷する現在、市場の活性化ついてはどう考えますか。

長谷川 景気が悪くなると美術品の値段も下がります。値段が下がると持ち主は手放さない。結果として作品が市場に出なくなり、ますます流通が滞る。これは典型的な悪循環です。

 一方で、若い作家の個展や手頃な価格帯の展覧会は好評なんです。多くの人が「絵を持ちたい」「家に飾りたい」と思っている。若手の作品はその入り口になる。そこから少しずつ視野を広げてもらい、やがて近代洋画の名品に目を向けてもらえればと考えています。

――近代洋画をめぐる課題にはほかに何がありますか。

長谷川 評論家がいなくなったことです。かつては美術評論家がいて、作品や作家を言葉で評価し、世に広めてくれました。ところが今はほとんどいない。そのため、作家の評価が定まらず、歴史に残りにくい。だからこそ、私たちが展示を通じて声を上げる必要がある。評論家がいないなら、画商や美術館の学芸員が役割を果たすしかありません。作家を忘れさせないために。

――最後に、近現代洋画の再評価について展望をお聞かせください。

長谷川 日本の近代洋画はまだまだ眠った宝の山です。どんなに地味に見える作家でも、一人ひとりに大切なストーリーがあります。その声を拾い上げ、未来に残すのが私の役目だと思っています。展覧会を一つ開くたびに、多くの人が「こんなにいい作家がいたのか」と驚いてくれる。その積み重ねが再評価につながる。ですから、私はこれからも掘り起こしを続けていきたいと思います。

 

はせがわ・とくしち

1939年東京都生まれ。64年慶應義塾大学法学部卒業後、住友銀行東京支店に入行。65年株式会社日動画廊に入社。76年創業者・長谷川仁の後継として代表取締役に就任。79年オフィシェ芸術文化勲章、98年芸術文化勲章コマンドールをフランス政府より受章。

写真提供:日動画廊

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