ネコが画家に愛される理由
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ピエール=オーギュスト・ルノワール『ネコを抱く女性』(1875年、左)、『猫を抱く子どもジュリー・マネ(1887年)
古今東西、猫という生き物は数え切れないほどの芸術家を虜にし、その姿はキャンバスの上に、途切れることなく描き続けられてきました。古代エジプトの神聖な象徴から、現代のポップアイコンに至るまで、猫は常にアートシーンの傍らにその姿を現します。
なぜ画家たちはこれほどまでに猫を愛し、描きたがるのでしょうか。この記事では、美術史に名を刻む有名な猫の絵画を辿りながら、画家たちが猫の何に魅了され、インスピレーションを受けてきたのか、その理由を紐解いていきます。
美術史を駆け巡る猫たち:時代と地域で見る名画
古代エジプト:神として崇拝された猫
猫とアートの最も古い関係は、紀元前3000年頃の古代エジプトに遡ります。当時のエジプトでは、猫はネズミなどから穀物を守る益獣としてだけでなく、女神バステトの化身として神聖視されていました。バステトは豊穣や幸運、官能を司る神であり、猫の頭部を持つ女性の姿で描かれます。出土する彫像や壁画には、しなやかな体つきの猫が数多く描かれており、その姿は単なる動物ではなく、神聖で優雅な存在として敬意を込めて表現されています。人々は猫を大切にし、死後はミイラにして手厚く葬ったことからも、その特別な地位がうかがえます。
中世ヨーロッパ:魔性の象徴としての猫
エジプトで神とされた猫は、中世のキリスト教社会のヨーロッパでは一転して不吉な存在と見なされるようになります。夜行性で、暗闇で光る瞳を持つ猫は、悪魔や魔女の使いと結びつけられ、しばしば異端の象徴として描かれました。この時代の宗教画や寓意画の中には、猫が裏切りや欺瞞の象徴として登場する例もあります。たとえば「最後の晩餐」を題材とした一部の中世宗教画では、ユダを暗示する存在として犬などとともに猫が描かれることがあります。しかしその一方で、修道院ではネズミから貴重な写本を守る実用的な存在として飼われていたという側面もあり、猫のイメージは単純なものではありませんでした。
ルネサンス・バロック:日常と寓意
ルネサンス期に入ると、絵画の主題が宗教的なものから、より人間の日常へと広がっていきます。猫は家庭的な動物として描かれるようになり、肖像画や風俗画の中に頻繁に登場します。レオナルド・ダ・ヴィンチは猫の素早い動きを捉えたスケッチを数多く残しており、その観察眼の鋭さに驚かされます。続くバロック期の絵画では、猫は豪華な静物画の中で重要な脇役を演じます。フランドルの画家フランス・スナイデルスは、獲物や果物が山と積まれた台所や静物画を得意としましたが、そこにはしばしば食卓から魚や肉を盗もうとする猫が描かれています。これは、人間の「欲望」や「本能」のメタファーとして、あるいは単に静止した画面に「動き」と物語性を与える存在として巧みに配置されました。

歌川国芳「猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんびき)』(1848年頃)
近代日本(浮世絵):庶民の愛すべき隣人
江戸時代の日本では、猫は庶民にとって非常に身近で愛される存在でした。特に浮世絵の世界では、猫は人気のある画題の一つとなります。中でも歌川国芳は無類の猫好きとして知られ、猫を擬人化したコミカルな作品や、遊女と共に描かれた艶やかな作品など、数え切れないほどの猫の浮世絵を残しました。《猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんびき)》では、東海道五十三次にちなんで、様々な種類の猫たちの姿を生き生きと描き分けています。その描写は愛情に満ちており、当時の人々がいかに猫を愛していたかが伝わってきます。
近代ヨーロッパ:印象派からエコール・ド・パリまで
19世紀のヨーロッパでは、近代化する都市生活の中で、猫は室内で飼われるペットとしての地位を確立します。印象派の画家たちは市民の日常風景を好んで描きましたが、その中には猫も頻繁に登場します。エドゥアール・マネの《オランピア》では、裸婦の足元に黒猫が描かれ、不吉さと官能性を同時に暗示しています。ピエール=オーギュスト・ルノワールは、少女と猫が戯れる微笑ましい光景を数多く描きました。
また、エコール・ド・パリの画家であり、日本出身の藤田嗣治(レオナール・フジタ)は、「乳白色の肌」と称賛された裸婦像と共に、猫を描き込みました。猫は彼の作品において、アイデンティティと優しさ、そして孤独を象徴する存在となっています。

ルイス・ウェイン《独身最後のパーティ》1939年
20世紀〜現代:愛猫家アーティストたちの肖像
20世紀に入ると、アーティスト自身の愛猫がモデルとして登場する「猫の肖像画」が増えてきます。アンディ・ウォーホルは、母親と共に『25 Cats Name Sam and One Blue Pussy』という画集を自費出版したほどの愛猫家でした。ポップアートの旗手である彼が描く猫は、カラフルでどこかシニカルな魅力に溢れています。
生涯を通じて猫の絵だけを描き続けた画家に、イギリスのルイス・ウェインがいます。擬人化された猫たちが人間社会を風刺するユニークな作品で人気を博しました。晩年、精神を病んだ彼の描く猫が、次第にサイケデリックな万華鏡模様へと変化していった様は、アートと画家の精神状態の関係を考える上で非常に興味深い事例です。
さらに、バルテュスは猫をモチーフに官能と無垢の狭間を描き、デヴィッド・ホックニーは愛猫たちを繰り返しキャンバスに登場させました。猫は20世紀以降も、アーティストの感性を映す存在として進化を続けています。
美しいフォルム、神秘的な佇まい、あるいは単なる身近な癒やしの存在としてだけでは語り尽くせない猫は、芸術家のインスピレーションの源でありつづけているのでしょう。
執筆:月刊美術プラス編集部